【ナポリ編】ビスポークテーラー奮闘記⑬

マニカカミーチャ

 

ナポリ流ビスポークを理解する上で欠かせない仕様があります。

それは「マニカカミーチャ」です。

 

 《マニカカミーチャ仕様のジャケットたち》

 

 

日本語で「シャツ袖」と言います。

肩パットやタレ綿を使わない代わりに、ギャザーを入れて立体的な袖付けにする仕様です。そのゆとり分、着心地が良くなり、見た目も柔らかい印象になります。

逆に言うとカッチリした印象の仕様では無いため、日本ではカジュアルなジャケットの仕様に使われます。イタリアではスーツでもこの仕様にします。

そんなイタリアでは主流の袖付けである「マニカカミーチャ」。

これはナポリの職人が生んだ仕立て方です。今でこそ世界中の色んな国に広まっていますが、その発祥の地はナポリなのです。

巧みな技術とセンスを持つナポリの職人の心、とも言えるマニカカミーチャをマスターせずして、ナポリ流を理解したといえるてしょうか?

 

しかしながら、マニカカミーチャの習得は、一筋縄ではいきませんでした。

何故なら、荒川が今まで見てきたマニカカミーチャとは全く違っていたからです。

ナポリの職人が作ったマニカカミーチャは躍動感溢れる作りて、仕上がりに立体感がありました。

それに対して、荒川が作ったマニカカミーチャはなんだかキレイ過ぎるのです。立体感が無く、ナポリっぽくない、ペちゃっとした袖になってしまいます。

何がダメなのか?何が違うのか?何度やってもわかりませんでした。

 

 

ナポリ流の真髄

 

サルトリアヴォルペで働いていたある日のこと。

この日はオーナーのジョバンニ・ヴォルぺが技術指導をしてくれました。

悩める荒川の作ったマニカカミーチャを見たジョバンニは、首を横に振りながら一言、

「違う」と言い、

縫い上げた袖をスルスルと外して、その場で荒川に縫い方を見せてくれました。


その縫い方、一言で言えば「大雑把」


荒川はジョバンニの縫い方を見て「え?!そんな縫い方でいいの!?」と思ったのが率直な感想でした。

しかし、いざジョバンニの真似をして縫ってみると、まさに思い描いていた立体感のあるマニカカミーチャが出来上がったのです。

このヴォルペの指導はとても大きな転換点となりました。荒川が探し求めたナポリ流の答えはここに有ったのです。

 

ナポリ流の答え、それは「適当」でした。 

本当に分かりやすく言うと「いい加減や適当」というのが、荒川の中でのすべての答えでした。悪い意味に聞こえてしまうかもしれませんが、荒川の感覚でナポリ流を理解するための日本語がこれでした。

もちろんこれは荒川の感覚的な答えであって、ナポリの職人たちが適当に縫っている、と言うことではありません。

それでもこの荒川が掴んだ感覚、「適当」はナポリのスーツの良さ全てに直結する答えだと思いました。

イギリスでは、元々王族・貴族など身分の高い人々が着るものというイメージが定着しているため、 きっちりしていることがカッコ良いとされています。

逆にナポリでは、「完璧ではないこと」がカッコ良いのです。

その抜け感(隙)が色気を醸し出している様 に思います。


ナポリのスーツから感じる色気は、荒川が学び感じ取った「適当」から生まれているのではないでしょうか。

よくある、「いい感じにやっといて〜」と言うのは、簡単そうに見えて意外と難しいことです。まさにセンスが問われる、誰にでも出来そうで真似できない、絶妙な塩梅で成り立っています。これこそナポリの血統なんだと確信した瞬間でした。

 

《2024年1月に再会した時の写真。
左から、アントニオ・ジョバンニ・ロベルトとアテンドさせていただいた阪急メンズ館の武石さん》

型紙の話

 

スーツの原型となる型紙は、とても重要なものです。 同じスーツと言えども、型紙によってその仕上がりは大きく異なります。

サルトリアヴォルペでは、型紙を使いません。ここでもヴィンチェンツォ(第11話参照)同様、型紙は使わず、生地に直接線を引き、カットしていきます。「サルトリアヴォルペ」の型紙はジョバンニの頭の中にだけ存在します。つまり生地のカットが出来るのはオーナーのジョパンニだけです。

このようにする理由としては、型紙の流出を防ぐために他の職人にはやらせないとも言われています。

型紙が無いので、同じ人の注文が来た場合は、数値を見て毎回引き直します。その後、気になる部分は仮縫いで調整していくのです。

ロンドンでは、「ハウススタイル」を重視していること、そして何度同じ人の注文が来ても同じものが作れるようにするために型紙を作るのが一般的です。つまり、オーナーが変わってもそのブランドには型紙が残っているので永遠に引き継ぐことができます。

しかし、ジョバンニ自身がハウススタイルである「サルトリアヴォルペ」は、ジョバンニ・ヴォルペがいないと成り立ちません。ジョバンニが辞めたら、「サルトリアヴォルペ」もなくなってしまうのです。人の一生と同じく永遠ではないことが尚更、貴重なものとしての特別感を生み出しています。

この型紙の話からも、ロンドンは「伝統」ナポリは「芸術」という風に感じます。

どちらも素晴らしいビスポークです。

 

 

余談ですが、「サルトリア」では基本的に上物(ジャケット・コート)しか作りません。サルトリアヴォルペでも、パンツ分の生地のカットはジョバンニが行い、縫製は「パンツ職人(パンタロナイオ)」に外注しています。

荒川はサルトリアヴォルぺで作ったジャケットをスーツとして着たかったため、パンツの型紙を自分で引いて、自分で作成しセットアップにしました。その時に荒川が作った型紙は今現在もサルトリアヴォルペに置いてあります。

荒川が作ったパンツの型紙


聞くところによるとパンツの注文が入った際に、たまに使ってくれているそうです。こんな素晴らしいサルトたちにいまだに使ってもらえるなんてありがたいです。

 

 つづく。

 

 

 

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