【ロンドン編】ビスポークテーラー奮闘記③
次に目指すはサヴィルロー
憧れのデザイナー、アレキサンダー・マックイーン
イギリス人デザイナーで、16歳からサヴィルローのテーラーで働き、その後セントラルセントマーチンズに入学。
卒業コレクションを見たVOGUE の編集長に気に入られて無名だったアレキサンダーマックイーンは瞬く間に有名に…。
荒川は高校時代に彼のコレクションを見てファンになり、だからこそ彼の母校であるセントラルセントマーチンズ(Central Saint Martins)を目指しました。
好きだから学びたい、もっと知りたい、という想いのやり場は、彼の軌跡を辿っていくことだと考えたのです。
マックイーンの作品には、テーラリングの技術が盛り込まれています。自分がなりたいデザイナーを目指す上で、テーラリングは欠かせないものだと思いました。
荒川はセントラルセントマーチンズ(Central Saint Martins)のファウンデーションという基礎コースを一年間修了した後、ロンドンカレッジオブファッション(London College of Fashion)のハンドクラフトテーラリングコースに入学しました。
本当はセントラルセントマーチンズで三年間学んでからテーラリングを学びたかったのですが、学費が高くて通えなかったのです。
そこで先にテーラリングの技術を学び、手に職をつけて働きながらまたセントラルセントマーチンズに通い直そうと、その当時思いました。
《セントラルセントマーチンズの修了証》
そしてロンドンカレッジオブファッションへの入学と同時に、サヴィルローに立ち並ぶ有名テーラーに片っ端から、履歴書を送りました。
まだ何の技術も経験もない自分を採用してくれるところなどあるだろうか…
不安の中、返事を待ちます…
結果…なんと一件だけ!
採用してくれたテーラーがありました。
それがハーディーエイミス(HARDY AMIES)だったのです。
ハーディーエイミスでの修行
今では信じられませんが、当時の荒川はハーディーエイミスというブランドを知りませんでした。いざ、働くとなってどんなブランドなのか調べてみるとなかなか歴史のあるブランドだと知りました。そんな由緒あるブランドに、なんの実績も経験もない荒川の内定が決まった訳はおそらくですが、ハーディーエイミスは当時、転換期を迎えており、そこにタイミング良く滑り込むことが出来たのだと思います。
運良くハーディーエイミスに採用された荒川は、五階建ての店舗の最上階でアーカイブの整理をしながら、テーラーリングを学び始めました。
最上階は元々作業をするアトリエでしたが、もう使われておらず物置きのようになっていました。アーカイブの整理というのははっきり言って雑用ですが、ハーディーエイミスの歴史ある過去の遺産たちが溢れたこの場所は、荒川にとっては宝の山でしたので雑用作業も楽しくこなしていました。
ハーディーエイミスは、35年近くイギリスのエリザベス女王のドレスメーカーを務めており、ロイヤルワラント(王室御用達証)を授与されているため、エリザベス女王の体型のトルソー(パットや綿体を貼り付けてを肉付きを再現)がありました。他にもハーディーエイミス本人のデザインノートなど、普通ならお目にかかれないようなものが沢山置いてありました。
ちょうどその当時、ハーディーエイミスはリブランディングを機にブランドロゴを変更しようとしていました。
荒川はアトリエを整理する中でハーディーエイミス直筆のサインを発見!
これはお宝だ!と思い、嬉々としてブランドマネージャーに見せると、、
「これいいね!ブランドロゴに採用しちゃお!」
…ということで、その直筆サインがロゴに使われることとなりました。
新ロゴ決定に一役買った…と言っても過言ではないかもしれません(笑)
《ハーディーエイミスの直筆サインのロゴ》
《働いていた当時のハーディーエイミス》
《ハーディーエイミスでがんばる荒川。作業は朝方まで行う日もあった》
ピノとの出会い
ハーディーエイミスでのテーラーの仕事と技術は、イタリア人のピノというおじいちゃんがマンツーマンで指導してくれました。
シチリア出身のピノはお喋りが大好きで、明るい職人さんでした。
ピノは型紙の引き方から最後のフィッティングまで全て教えてくれました。
本来なら、テーラーの仕事は分業(型紙ならカッター、フィッティングならフィッターが専属で行う)が基本なので、1から10まで全て教えてもらえたのは運が良かったです。
数ある仕事の中でも、イギリスの王族が着用するモーニングをピノと一緒に作ったのは本当に良い思い出です。
イギリス生活を思い返しても、特に楽しく印象的な出来事でした。
《荒川が当時作成をお手伝いしたモーニング。ロード・フレディ・ウィンザーの衣装です》
元々はテーラリングを学ぶためだけにハーディーエイミスで働いていた荒川でしたが、このピノとの出会いが「ビスポークテーラーになりたい」と思うきっかけとなりました。
続く。
鳥肌が立ちました。ハーディ・エイミスで修行されたんですね。
ロンドンフリータイム10日間で、サビルロウやジャーミンストリートへ真っ先に行きました。歩くだけで震えました。